TV版「電車男」

録画していたシンプソンズを見ようと思ったら「今日は『電車男』が始まるからちょっと見たい」と言われたので最初だけ見てみた。

そしたらOPが「DAICONIV」のパロディだったので驚いたよ。音楽始まって「あ、なつかしーなコレ。なんだっけ」とか思ってたら、人参持った女の子が電車に乗って板野飛びしてんじゃん。元々がパロディの行き着いた先である「DAICON」のパロディをやるとは。誰に向けてるんだ。「電車男」見るような層は、男であれ女であれ知らないだろ。俺か?俺に向けてるのか? 悪いけど俺はTVドラマなんかみねーよ。OPアニメも脂の乗り切った時機の庵野作画にかなうべくも無いし(そういう問題じゃないが)


ともあれ、80年代というパロディの時代に青春を送ってしまった俺なので、ちょっと喜々として「これはね、ガイナックスを立ち上げた連中が…」とか話すが「フーン」てなもんで、2へぇくらいのリアクション。

「電車」自体は逆プリティウーマン(逆じゃじゃ馬ならしの方がしっくりくる?)といった感じで、時代を感じさせますな。いいじゃん、オタクでもな。

オタクという生き方

つーか、俺らは「オタクになってしまった」んじゃなくて、意識的に「オタクという生き方を選んだ」わけなんで。もっと言えば「オタクであることがカッコ良かった」時代というものが、確実にあった。それは今のオタクが行き着いた所とは全然違うものだったんだが。

オタク的価値観を少しでも分かち合おう、そして迫害されない世の中を作って行くべく活動しよう。そう思ってオタクとして生きてきたつもりだった。しかしふとあたりを見渡せば、ビルから垂れ下がる巨大なアニメ少女。300円で買える塗装済み完成品のシービュー号。CSでは新旧のアニメ特撮が垂れ流され、ネットには資料があふれる。そして、フジのドラマのOPがDAICON FILMのパロディ。

これが俺たちの望んだ未来だったのか?
手に入れた未来は理想郷とは程遠い。手に入れてしまったからこそ色あせてしまった、というのとは根本的に違う、と思う。自分が年を取ってしまったせいだけでもないとも思う。親父が何を愚痴っても地球は周り、オタクは経済に組み入れられつづける。

くそったれな未来だぜ、と思いつつ、今晩もネットワーク上で外人と殺しあう俺だ。


追記:オタクの描き方は妥当だと思う。秋葉に行けば、もっと酷いのがいっぱいいるじゃん。